今年も、ノーベル賞が出揃う季節と相成りました。個人的な意見として、ノーベル賞は自然科学三部門だけでいいと思っているのです。科学というものは理という共通の言語を土台として書かれているのものです。その上で、数十年経って、その研究結果が素晴らしいと判断されたら贈られるので、これも理に適っています。論文の是非なんて、偉大であればあるほど、出てすぐには理解されない傾向がありますしね。 一方で、平和賞と文学賞はどうでしょうか。何故だかよく分かりませんが、平和賞は実に時事的な話題を扱う傾向が強いです。そういう風にしないと存在感を示せないという考えなのかも知れませんが、現役の人なんか選んだら、これから何をしでかすか分かったものじゃないと思うのです。アメリカ大統領のオバマ氏は、相応しい男だったでしょうか。見解は色々とあるでしょうが、私はそう思いません。そして文学賞というのも、よく分かりません。文学というのは当然、それぞれの言語があって初めて成立するものです。つまり、言語圏を越えた国際的な賞を認定しようと思ったら、ありとあらゆる、とまではいかなくても、相当な数の言葉を精読できるレベルで習得する必要があると思うのです。どういう経緯で選ばれるのかはよく知りませんが、英語くらいならともかく、川端先生が受賞した時、審査員の何人が日本語に通じていたのでしょう。世の中は、謎が多いと思います。 経済学賞は、ノーベル財団が作った銀行が勝手に贈っている賞で、ノーベル氏の遺言に含まれていないので、正式にノーベル賞と呼んでいいのか怪しいんだそうです。そもそも、経済に貢献という概念がよく分からんので、これに関してはパスでお願いします。 ともあれ、ノーベル賞でも取らないと一般人が興味示さない科学業界は大変だなぁとは思っています。 (・ω・) そして研究結果に何言ってんだこいつとツッコむまでが様式美です 【まずは学者の定義を決める必要が】 月:人が生きながら神となるには、何が必要か。 黄:なんだ、いきなり学者みたいなことを言いやがって、なんだよぉ。 月:敢えてツッコみゃしないからな。 黄:ツッコミを入れようが入れまいが、 そういう風に思われてる事実に変わりはないと、気付いて欲しいものなんだよぉ。 【まともなこと言われても反応しづらい】 月:日本神話やギリシャ神話を見れば分かる通り、神と人との境界線は実に曖昧だ。 黄:この違和感は、一体なんなんだよぉ。 月:ともあれ、神の定義を定める必要性があるな。 黄:まさかのそこから、なんだよぉ。 月:定義を設定するのは、学問に於ける基本中の基本だ! 【それも黄龍の主観ですよね】 月:私の考えだと、三人以上に崇められたら神扱いでいいと思うんだ。 黄:その数字の根拠はなんなんだよぉ。 月:一人の脳内にあるだけのものは、只の妄想。二人でも、共依存的な可能性がある。 壁がでかいのは、三人目からかなぁと。 黄:定義とか抜かしやがったくせに、一般性の欠片もない主観だけの発言、 これはまさしく、人文系学者そのものなんだよぉ。 【やっぱり三人ってのはハードル高いな】 月:まあ、これだと従業員を三人雇ってる会社の社長は、みんな神になってしまうんですけどね。 黄:社員が全員社長を信望してるとか、それこそ幻想なんだよぉ。 月:何を言う。黄龍だって、就活失敗したのを拾ってやった私を尊敬の眼差しで見てるだろ。 黄:どこをどうつついたらそういう見解になるのか知らないけど、 それで満足できるなら、そういうことにしてやるのが大人の優しさなんだよぉ。 よし、今日も月読教授はどうしようもなかったな。これで安心して寝れるというものです。 PR |
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