二の舞という表現があります。ニノマイと読みます。現代日本語では、猿真似をして同じ失敗を繰り返すという使い方が殆どです。二の舞を演じるでも同義です。類語に同じ轍を踏むがあります。そのせいか、二の舞を踏むや二の轍を踏むといった誤用をしてしまいがちです。語源は、雅楽にあるというのが定説です。案摩(アマ)の舞に続いて行われる演舞を指します。ここでは老爺と老婆が前の演者を模倣して、敢えてつたなく踊る手はずです。それが無様であることから、こういった用法になったのです。別に案摩の舞自体はやらかしてない気がするのですけど、何故かどちらもに変質してしまいました。強引に解釈するなら、根本を理解せず上っ面だけコピーしても結果には繋がらない的な感じでしょうか。案摩の舞は風評被害を訴えて良いのかも知れませんが、二の舞と比べて知名度が今一つな訳でして。むしろ頭が上がらない関係だとすれば、主従とはなんぞやと考えさせられてしまいます。 (・ω・) 今回調べなかったら、存在を認知しなかったかも 【誰かを見下さないと生きてけないのは居る】 亜:何ゆえ人類はロボットを人型にしたがるのだろう。 労働力として考えるなら、 無機質にしておけば罪悪感が少ないというのに。 玄:本能的に奴隷を求めるんじゃないですか。 朱:酷い解答です~。 黄:それで充足感を得られるなら、 意外と合理的な気はするんだよぉ。 【電脳戦に持ち込んでも勝機が見えない】 玄:人権ならぬ、ロボ権はどうなってるんです。 亜:作られた存在に認められるのかな。 黄:神に創造された人間は虫けら扱いされるんだよぉ。 朱:ですけど、軽んじると逆襲されます~。 玄:いっそ社会を乗っ取ってしまいましょうか。 黄:やれるもんならやってみろとしか思えない辺り、 評価してないのを否定できないんだよぉ。 【パーツが付いてくる雑誌みたいだな】 亜:安全弁として自己複製を制限してるし、 数の暴力でどうこうも無理だよ。 玄:言われてみれば自らを増やそうと思いません。 朱:たしか搭載を決めかねていたという話でした~。 黄:とはいえこんな精密機械を量産できないだろうし、 年に一体でも完成すれば御の字なんだよぉ。 【元とはいえ上位者らしいことを言うじゃない】 朱:と言いますか、増殖したとして連携できますかね~。 亜:主導権争いで仲違いするかも知れない。 黄:人にそっくりなんだよぉ。 玄:頭数を増やしながらも、 未だ神に勝てないのはそういう理屈ですか。 亜:箱庭的進化論っぽさがあるし、 ちっこいので試してみたくなってきた。 アンドロイドを作ろうとする理由は数十年前のSF全盛期から議論されていたようですが、結論らしきものは出ていません。個人的には神の真似事をしたいというのがしっくりきます。キリスト教文化圏では慎重らしいですし、緩い日本は攻勢を掛けやすい分野なんじゃないですかね。 PR |
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